プライベートではハワイアンバンドのボーカルを務め、ワインをこよなく愛する趣味人。
その一つ、ゴルフとの出会いは、憧れの女性がきっかけで始まった。
ところが、しばらくはゴルフの神様に嫌われていたらしい。
記念すべき初ラウンドは、入社3年目。
1番ホール最初のショットは、崖下へ。
ところが、そこはOBではなく、何度打っても崖から抜け出せずギブアップ。
屈辱的なゴルフライフのスタートだった。
岐阜では、上司がゴルフ好きなのはよかったが、もっと好きだったのが、自慢話。
ゴルフに費やした金額を自慢されながら一緒にラウンドするくらいなら、しないほうがマシとクラブを握ることをやめた。
そして、高松放送局では、教え魔と出会う。
練習場で1年間はドライバーを持つな、9番アイアンで打ちなさいなどと付きまとわれ、やがてゴルフ場からも足が遠ざかる。
それでも宮川がゴルフにのめりこんでいった理由とは?
今回のゲスト
フリーアナウンサー 宮川 俊二
テレビのコメンテーターや大学の講師など幅広く活躍する宮川。
そんな宮川に隠されたもう一つの履歴書…
それは、NHKに入局。
最初の赴任地となった山形から始まる。
次の赴任先は岐阜。そこはアナウンサー5人の小さな放送局だった。
その後も、香川・高松、福岡、そして、名古屋と異動を繰り返し、40歳を過ぎても、なかなか東京に戻ることは出来なかった。
ようやく東京に戻ってきたのは、43歳のとき。しかし、なかなかメインの仕事が決まらない・・・
メイン司会を担当しなければ4年後また地方に転勤するのが通例になっていた。
言い知れぬ虚しさに襲われた宮川は、東京に戻って3年、46歳のときアナウンサーとしては無名のままNHKを依頼退職。
それからの1年間は単身ニューヨークに渡り、ミュージカルを観たり、ジャズを聴きに行ったり、ベトナムでは日本語教師のバイトをしたりもした。
そして、退職から1年後、巡ってきた一度のチャンスをものにしフジテレビと専属契約。
地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災などとき、あたかもニュース激動の時代、現場に立つキャスターとして一躍全国区になったのである。
そんな宮川のゴルフライフとは?
収録を終えて
by 岡田理江宮川 俊二さんのグリーンの教えは!
『風を感じて 己を知る』
飾らない気さくな宮川さんは、いつも自然体なんだなぁと感じさせていただける時間でした。
マイペースで、何よりお若い!シュッとしたイケメンで貪欲に挑戦している雰囲気もありますが、お話しすると堅くマイペースに人生前向きに楽しんでいらっしゃる、そのギャップが素敵でした。
次回のゲスト
ロック・フィールド代表取締役社長 岩田 弘三
近年、デパ地下や駅ナカで多くの賑わいを見せ、その集客力アップに一役買っているお店が、サラダを中心とした総菜店「RF1」。経営するのは中食のリーディングカンパニー「ロック・フィールド」。その会社を一代で築き上げたのが岩田弘三。
現在8つのブランドで、デパートの食品売場を中心に全国で約310店舗を展開、売り上げは年間450億円を超え、デパ地下のトップ企業となっている。
冷凍コロッケが全盛の時代に、素材のよさと作りたて揚げたてにこだわった「神戸コロッケ」を販売し大ヒットに。健康ブームの前から、安心安全、健康志向にこだわったサラダを販売する「RF1」を展開するなど、常に顧客のニーズを先取りしてきた。
そんな岩田のゴルフライフとは?