ニッカボッカから社名を取ったほどの谷田はよほどのゴルフ好きだったのか思いきや、谷田がゴルフを始めたのは44歳と遅咲きのデビューだった。
自動販売機のルートを開拓するため、営業をしていたとき、取引先との付き合いのための手段として「使える」と思ったのだ。
そしてゴルフを始めると、谷田はあることを心に決めた。
せっかくポッカという名前にしたんだから、社名の由来となったニッカボッカを履いてプレーしようと決めたのだ。
しかし、そんなニッカボッカ。
当時は日本でやすやすと手に入れられるものではなく、谷田はオーダーメードでしつらえたという。
すっかり谷田の「ニッカボッカスタイル」は周辺のゴルフコースでも話題となり、シルエットを見るだけで谷田だと見分けられるようになったという。
今回のゲスト
ポッカコーポレーション 創業者 谷田 利景
1926年に生まれた谷田は、28歳のとき、スタンドバーの経営に乗り出す。ニッカウイスキーから名前を取り、「ニッカバー・ナゴヤ」と名付けた。
すると、折からのカクテルブームで店は大繁盛。中でもレモンを使ったカクテルが人気だったという。
そして、レモンに勝機を見出した谷田は1957年、レモン飲料の製造販売会社「ニッカレモン株式会社」を立ち上げる。
すると、当時高価だったレモンを手軽に味わえるとたちまち大ヒット。
ポッカと社名を変えた谷田は、レモンだけでは「会社の柱」として心許ないと他にも「柱」となるべくアイデアを捜し、谷田が目をつけたのが「缶コーヒー」。それまで瓶しかなかったものを谷田は缶につめて発売することを思いついたのだ。
こうして誕生したのが世界初の缶コーヒー。
この温かい飲料を売ることができる自動販売機を開発したのも谷田の発想が原点となっているのだ。
こうして積極的な姿勢で次々とアイデアを形にしてきたポッカは急成長を遂げ、調味料だけにとどまらず、清涼飲料部門でも業界をリードする一大メーカーに成長したのだった。
そんな谷田のゴルフライフとは?
収録を終えて
by 岡田理江谷田 利景さんのグリーンの教えは!
『積極進取が人を育てる』
あはは!と笑う谷田さんがとてもかわいく、こちらの心も温かくなるような、素敵な方でした。あんなに愛嬌のある歳の取り方を私もしたいと思います。
元気でサービス精神旺盛な谷田さんでした。
次回のゲスト
フリーアナウンサー 宮川 俊二
テレビのコメンテーターや大学の講師など幅広く活躍する宮川。
そんな宮川に隠されたもう一つの履歴書…
それは、NHKに入局。
最初の赴任地となった山形から始まる。
次の赴任先は岐阜。そこはアナウンサー5人の小さな放送局だった。
その後も、香川・高松、福岡、そして、名古屋と異動を繰り返し、40歳を過ぎても、なかなか東京に戻ることは出来なかった。
ようやく東京に戻ってきたのは、43歳のとき。しかし、なかなかメインの仕事が決まらない・・・
メイン司会を担当しなければ4年後また地方に転勤するのが通例になっていた。
言い知れぬ虚しさに襲われた宮川は、東京に戻って3年、46歳のときアナウンサーとしては無名のままNHKを依頼退職。
それからの1年間は単身ニューヨークに渡り、ミュージカルを観たり、ジャズを聴きに行ったり、ベトナムでは日本語教師のバイトをしたりもした。
そして、退職から1年後、巡ってきた一度のチャンスをものにしフジテレビと専属契約。
地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災などとき、あたかもニュース激動の時代、現場に立つキャスターとして一躍全国区になったのである。
そんな宮川のゴルフライフとは?