小林は音楽界きってのゴルフ好きで知られる。
しかし、小林がゴルフデビューも、指揮者デビューと同じく遅かった。
小林45歳。オランダの楽団の常任指揮者をしていたとき、日頃のどを痛めないためにも、タバコの煙を避けていた小林だったが、あるとき友人があまりにタバコをふかし続けるので、しびれを切らし・・・
「あなたはゴルフが得意だってことですが、1年後にゴルフで勝負して、ボクが勝ったらタバコをやめませんか?」
当時の小林はゴルフの素人なのに、いきなりゴルフでの勝負を挑んだのだ。。
しかも相手はハンディキャップ11の上級者。もちろん彼は二つ返事で勝負を受け入れた。
当然と言えば当然なのだが、小林はゴルフの壁に最初からぶち当たる。
ところが・・・
炎のごとき熱情をもつ小林の1日800球打ちこむ、過酷な練習の日々が始まった。
果たして、その結果とは?
今回のゲスト
指揮者 小林 研一郎
炎のマエストロ、小林研一郎。
アーネム・フィルハーモニー管弦楽団や、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団など、国内外の名門オーケストラでタクトを振るう世界でもっとも注目されている日本人指揮者。
34歳のとき、第一回ブタペスト国際指揮者コンクールに優勝し、一躍注目を浴びる。
2000年に、日本オランダ交流400年の作曲を委託され、管弦楽曲「パッサカリア」を作曲し、自らの指揮で披露。
2002年には、「プラハの春」音楽祭のオープニングコンサートにて、東洋人として初めてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して登場。スメタナの交響詩『わが祖国』を演奏し全世界に同時中継された。
さらに、2007年の大晦日にはベートーヴェンの全交響曲を1人で指揮する「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会」を行い脚光を浴びる。
そんな小林のゴルフライフとは?
収録を終えて
by 岡田理江小林 研一郎さんのグリーンの教えは!
『平常心がシンフォニーを奏でる』
小林研一郎さんのゆっくりとした語り口は、心穏やかにさせていただける雰囲気でした。タクトを振る小林さんはまた違う感情の世界を見せてくださり、五感以上のものがあるそんな感性をお持ちの方でした。
次回のゲスト
ポッカコーポレーション 創業者 谷田 利景
1926年に生まれた谷田は、28歳のとき、スタンドバーの経営に乗り出す。ニッカウイスキーから名前を取り、「ニッカバー・ナゴヤ」と名付けた。
すると、折からのカクテルブームで店は大繁盛。中でもレモンを使ったカクテルが人気だったという。
そして、レモンに勝機を見出した谷田は1957年、レモン飲料の製造販売会社「ニッカレモン株式会社」を立ち上げる。
すると、当時高価だったレモンを手軽に味わえるとたちまち大ヒット。
ポッカと社名を変えた谷田は、レモンだけでは「会社の柱」として心許ないと他にも「柱」となるべくアイデアを捜し、谷田が目をつけたのが「缶コーヒー」。それまで瓶しかなかったものを谷田は缶につめて発売することを思いついたのだ。
こうして誕生したのが世界初の缶コーヒー。
この温かい飲料を売ることができる自動販売機を開発したのも谷田の発想が原点となっているのだ。
こうして積極的な姿勢で次々とアイデアを形にしてきたポッカは急成長を遂げ、調味料だけにとどまらず、清涼飲料部門でも業界をリードする一大メーカーに成長したのだった。
そんな谷田のゴルフライフとは?