グリーンの教え Wisdom of Golf 毎週土曜日23時00分

『グリーンの教え』スマートフォン、携帯サイトでは、過去に紹介したゲストの名言を動画で紹介しています。

#45「自分が最も厳しい審判たれ」川淵 三郎

川淵は日本代表に選ばれて千葉県検見川で合宿していた時に遊び半分で初めてクラブを握った。

現役引退後もサラリーマンとして営業職を務めていた35歳ごろから川淵は徐々にゴルフに引き込まれ、飛距離なら誰にも負けない、という「飛ばしのゴルフ」に魅了されていったのだ。

今回のゲスト

日本サッカー協会名誉会長 川淵 三郎

子どものころからサッカーひと筋と思いきや、小中学校時代に打ち込んだのは野球であった。
それどころか、サッカーに対して「汚いし痛いスポーツ」というイメージを持っていたという。
そんな川淵がサッカーを始める契機となったのは地元大阪の高校に通い始めた頃。友達にこう言われたことがきっかけだった。
「サッカー部は夏休みに四国で大会がある」
そう、ただ四国に旅行ができるという理由から、サッカー部に入部したのだ。すると、水があったのか川淵はメキメキと上達。高校生時代からサッカーで名を馳せ、早稲田大学で関東大学リーグ優勝を果たすと、日本代表にも選出される。
名門古河電工に入社し、1964年に開かれた東京オリンピックに出場。アルゼンチン戦でゴールを挙げるなど活躍を遂げた。
1970年の現役引退後もサラリーマンとしての職務を果たしながら、日本代表監督、日本サッカー協会理事、などを務め、サッカー界の発展に尽力する。
1993年Jリーグ初代チェアマンとして日本のサッカー界を牽引し、2002年の日韓ワールドカップを実現させると、日本サッカー協会会長に就任

「親しみやすい存在、開かれたサッカー協会を目指したい」という意向を反映し、会長ではなく「キャプテン」という愛称を使った。


次回のゲスト

指揮者 小林 研一郎

炎のマエストロ、小林研一郎。
アーネム・フィルハーモニー管弦楽団や、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団など、国内外の名門オーケストラでタクトを振るう世界でもっとも注目されている日本人指揮者。
34歳のとき、第一回ブタペスト国際指揮者コンクールに優勝し、一躍注目を浴びる。
2000年に、日本オランダ交流400年の作曲を委託され、管弦楽曲「パッサカリア」を作曲し、自らの指揮で披露。
2002年には、「プラハの春」音楽祭のオープニングコンサートにて、東洋人として初めてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して登場。スメタナの交響詩『わが祖国』を演奏し全世界に同時中継された。
さらに、2007年の大晦日にはベートーヴェンの全交響曲を1人で指揮する「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会」を行い脚光を浴びる。
そんな小林のゴルフライフとは?