グリーンの教え Wisdom of Golf 毎週土曜日23時00分

『グリーンの教え』スマートフォン、携帯サイトでは、過去に紹介したゲストの名言を動画で紹介しています。

#44「20年後も100年後も誠実であれ」柴田 仁

柴田が本格的にゴルフを始めたのは大学を卒業してから。
そのとき最も影響を受けたのは、ベンホーガン。

おそらく世界中で最もよく読まれたであろうゴルフ入門書「モダンゴルフ」を読み、アイアンもベンホーガンで揃えた。 初版は1958年だが、そのゴルフ理論は今でも通用するといわれるスイングを学びたいときのバイブルである。

父親から帝王学、そして海外の一流のゴルファーの理論を学ぶ。
だが、そのゴルフライフは決して順風満帆だったわけではないようだ。

今回のゲスト

大幸薬品代表取締役会長 柴田 仁

ラッパのマークが目印の正露丸。
たくさんの人がお世話になってきたであろう、軟便 下痢 食あたりの薬である。
その歴史は100年以上も前、日露戦争の頃までさかのぼる。
そんな老舗薬品メーカーの三代目として20年以上舵を取ってきた。
先代から帝王学を叩きこまれ36歳の若さで社長に就任。新たに研究所を創設し、正露丸の安全性・信頼性を高めることに手腕を発揮した。
そして、信頼をより強固なものにした上で、2010年、東証1部上場を果たした。
そんな柴田のゴルフライフとは?


次回のゲスト

日本サッカー協会名誉会長 川淵 三郎

子どものころからサッカーひと筋と思いきや、小中学校時代に打ち込んだのは野球であった。
それどころか、サッカーに対して「汚いし痛いスポーツ」というイメージを持っていたという。
そんな川淵がサッカーを始める契機となったのは地元大阪の高校に通い始めた頃。友達にこう言われたことがきっかけだった。
「サッカー部は夏休みに四国で大会がある」
そう、ただ四国に旅行ができるという理由から、サッカー部に入部したのだ。すると、水があったのか川淵はメキメキと上達。高校生時代からサッカーで名を馳せ、早稲田大学で関東大学リーグ優勝を果たすと、日本代表にも選出される。
名門古河電工に入社し、1964年に開かれた東京オリンピックに出場。アルゼンチン戦でゴールを挙げるなど活躍を遂げた。
1970年の現役引退後もサラリーマンとしての職務を果たしながら、日本代表監督、日本サッカー協会理事、などを務め、サッカー界の発展に尽力する。
1993年Jリーグ初代チェアマンとして日本のサッカー界を牽引し、2002年の日韓ワールドカップを実現させると、日本サッカー協会会長に就任

「親しみやすい存在、開かれたサッカー協会を目指したい」という意向を反映し、会長ではなく「キャプテン」という愛称を使った。