ゴルフを始めたのはバンドマンの頃。
まだ国産モデルがない時代にパンナム航空の友人にゴルフクラブをもらい、熱海にあるハーフ・コースに誘われたのがきっかけだった。香港で買ってきたとウィルソン・サム・スニード。一緒に回ったバンドのメンバー6人はズブの素人でハーフで6時間半もかかったという。
堀は思った。「疲れてつまらない。二度とやるまい…」。一年半後にはゴルフから離れ、慣れ親しんだ野球に戻ることに。
そんな堀がゴルフを再開したのはホリプロ設立の後。三木鮎郎に誘われたのがきっかけだった。
それから毎月のように植木等やハナ肇など、時代を代表するスター達と回るようになる。こうして、堀の本格的なゴルフライフが始まった。
そんな中、還暦を目前にした58歳で考え。還暦後、どう生きようかと。
今は人生80年。ワンパターンじゃつまらない。昔のような人生50年の時代とは違う。気力さえあれば、人生はいつだって生まれ変わることができる。
そんな堀がゴルフから学んだグリーンの教え「人生二毛作」にあなたは何を感じるだろうか?
今回のゲスト
ホリプロ取締役ファウンダー 堀 威夫
数々の大物タレントを世に送り出してきた芸能プロダクション「ホリプロ」。
今年50周年を迎えたホリプロを一代で築き上げたのが、堀威夫(78)である。
1932年、神奈川県に生まれた堀は、戦後まもなく、アメリカの音楽とギターに心を奪われ、バンド活動を始める。
1957年に結成したバンド「スウィング・ウエスト」では、音楽雑誌でNO.1ギタリストに選ばれるなど、プロミュージシャンとしての地位を確立。
そんな人気絶頂の中、堀はある重大な決断を下す…
なんとバンドマンを引退し、芸能プロダクションを設立したのだ!
芸能界の発展と共に、ホリプロは成長を遂げる。
グループサウンズが流行の時代にブルースの女王・和田アキ子をデビューさせ、清純派アイドルが全盛の時代に、大人びた山口百恵をスターダムに押し上げた。
そして、社会の注目を集めたのが「ホリプロスカウトキャラバン」である。
この一代イベントをきっかけに、時代を彩るタレントが続々と誕生した。
時代に抗うバンドマン魂で、芸能界に変化を巻き起こしてきた堀のゴルフライフとは?
収録を終えて
by 岡田理江堀 威夫さんのグリーンの教えは!
『人生二毛作』
とても穏やかなどこか安心してしまうオーラがある方だと思いました。人生の目標が常にあるというのは、こんなに素敵なお顔でいられるという、素晴らしく素敵で、いつまでも若々しくいる秘訣が分かりました。
次回のゲスト
大日本住友製薬会長 宮武 健次郎
大日本住友製薬会長・宮武健次郎(72)。
1999年、宮武は明治30年から続く医療薬品メーカー、大日本製薬の社長に就任
伝統ある会社を継いだ宮武であったが、新しい風を起こそうと様々なことに挑戦。
失敗の先にしか成功はない。これが会長職となった今でも変わらない宮武のポリシーだという。
そんな宮武が初めてゴルフと接したのは父の影響。先進的な考えを持つ父親は早くからゴルフをしていたばかりか、なんと、自宅に練習用のブースまで作ってしまったという。この音は目覚まし代わりだったと同時に、宮武のゴルフライフの始まりを告げる合図だったのだ。