30歳の時にゴルフを始めた山科、その当時ゴルフは、まだ一般的に誰もが楽しめるスポーツでは無かった。
最初は仕事の付き合い、つまり接待という不純な動機ではじめたという。
ずっと「ゴルフ=仕事の感覚」は抜けず、平日に週1、2回のペースでコースに出かけていた。
30代の頃は80台が出た事もあったが、今はスコアよりもマイペースで楽しくまわることを最優先しているという。
ゴルフはいつの思い通りにはいかないのが面白い。おもちゃビジネスとも似ているのかもしれない。
おもちゃは、どんなにマーケティングを駆使しても、実際に店頭で売ってみないと当たるかどうかが分からない、経験則が通用しない世界。
ゴルフも、いくら練習してもパットは外す。こんなストレスがかかるスポーツはないと思っていた。
仕事と割り切り、ストレスだらけのゴルフライフ。今はある程度は楽しめているというが、とことん腕を磨いて突き詰めるわけでもない。
趣味の領域に達していないとすら思うこともある。それはアメリカでの体験がきっかけだったという。
アメリカ人が、趣味はゴルフだというと大抵シングルプレーヤーのレベルだった。
ただゴルフが好きというだけでは、決して「趣味」と言わない。
とことん追求してこそ見える世界、面白さがある。
だから山科はゴルフを趣味とはいえないかもしれない。
これはエンターテイメントも似ている。誰かの真似をするのでなく、新しいものを生み出し続けるくらい真剣に取り組むことで初めて結果が出る。
攻めの姿勢を見せて最高の頂を目指すことが大切。
スコアメーキングだけに終始したゴルフは魅力がなく、面白くないという。
そんな山科の言う「とことんやるからこその 面白さ」にあなたは何を感じるだろうか?
今回のゲスト
山科ホールディングス代表取締役、元バンダイ社長 山科 誠
山科誠、65歳。バンダイ創業者の父の後を継ぎ、1980年に35歳の若さで社長に就任。その年に発売された機動戦士ガンダムのプラモデルはわずか半年で100万個を販売し、翌年にはシリーズ累計2500万個と一大ブームを巻き起こす。おもちゃ業界のトップに躍り出ると、映像や音楽、アミューズメント事業など、次々にビジネスの新機軸を開拓。80年代に入り、おもちゃ業界自体の成長が頭打ちになる中でも右肩上がりの急成長を続け、1986年には玩具メーカーとして初めて東証2部上場を果たす。そして、1997年に爆発的ヒットとなったのが「たまごっち」。全世界で4000万個を売り、社会現象を巻き起こした。激動の時代にありながら山科はバンダイの成長を支えたのである。現在は山科ホールディングスの会長として動画配信と動画検索の事業を手掛ける。
収録を終えて
by 岡田理江山科誠さんのグリーンの教えは!
『とことんやるからこその 面白さ』
山科さんの中で『趣味、好き』といえるのは、とことん突き詰めたもので、ゴルフでいえばシングルレベルのことだそうです。
山科さんはゴルフを好きとはおっしゃらなかったけど、友人とゴルフをされている姿は、本当に楽しそうにプレーされていました。
実は単に好きではなく、大好きなのでは?なんて思ってしまうぐらいでした。
人に対しても仕事に対しても、きっと正直に自分を伝えられる素敵な方なんだろうと、感じました。
今回のゲスト
インテグラル 取締役パートナー、元アディダスジャパン副社長、元東ハト社長 辺見 芳弘
三井物産を皮切りにハーバードビジネススクールを経て、ボストン コンサルティンググループへ。そして1998年にアディダスジャパン入社。
アディダスの日本法人の立ち上げに参画し、副社長に就任すると、日本人トップとして会社をゼロから構築し、ブランドイメージを飛躍的に向上させる。
さらに、2004年、当時民事再生法が適用された菓子メーカー、東ハトの代表取締役社長に就任すると、東ハトの再生を3年間で完了。そして、現在インテグラル取締役パートナー、さらに日本を代表するアパレルブランドヨウジヤマモト取締役会長兼務として手腕をふるう。
辺見は12歳のときに、アメリカの日本人の住んでいない地域に移住し、異文化社会に触れた。
ゴルフを始めたのもその頃だ。帰国後、慶応大学に入学するとゴルフ同好会に入り4年間ゴルフ漬けの生活を送り、ゴルフに魅了されることになる。