グリーンの教え Wisdom of Golf 毎週土曜日23時00分

#9「良いプレイをしたければ、どんなトラブルショットでも笑顔を忘れないことだ。」リー・トレビノ

スラム街で生まれ育った、リー・トレビノにとってゴルフとは、当初、家族を支えるための金をうむ、大切な道具だった。28歳で全米オープンの出場資格を得て、新人ながら6位に入賞。そして翌年の全米オープンで初優勝。さらに31才で全米オープン、全英オープンに優勝し、トッププレイヤーの仲間入りを果たした。

トレビノは、常にジョークを言う、底抜けに陽気な男だった。ジョークが精神安定剤のような役割をしていた、とトレビノ自身も語っている。
一方、稼いだ賞金を、一晩で遊びに使うような破天荒な男だった。

そんな彼が、その後の半生をガラリと変えるような、事故にあった。1975年6月。トーナメントの真っ最中、トレビノは雷に打たれた。
しかしこの事故がトレビノの破天荒な生き方を変えていった。彼は、家族と少しでも多くの時間を過ごすようになり、周りのすべてに感謝をするようになった。

その後の検査で、椎間板が損傷している事が判明した。トレビノは手術をうけ、 復帰するための、過酷なリハビリを始めた。
けれども、どんなにつらかろうがジョークだけは、 トレビノから消えることはなかった。それが家族を安心させ、家族の笑顔がトレビノに新たな勇気を与えたという。

落雷事故から2年、トレビノはカナディアンオープンに参加した。まだ体は完全に戻っていなかったが、観客にはいつもの陽気なトレビノを演じた。そして冗談を言いながらトレビノは勝つ執念を忘れなかった。それが、トレビノに力を与えたかのようにジャック・ニクラウスと死闘を繰り広げた末、トレビノは遂に、一打差で帝王を下した。

この勝利はトレビノにとって生涯忘れることの出来ない勝利となったのである。

そんなリー・トレビノが残した言葉「良いプレイをしたければ、どんなトラブルショットでも笑顔を忘れないことだ。」とはどのような意味を持つのだろうか

今回のゲスト

石川次郎(編集者)

1964年、早稲田大学を卒業し、旅行代理店に勤務したが3年で退社。その後、平凡出版(現マガジンハウス)に入社し、100万部以上の売り上げを誇った「平凡パンチ」を担当した。そして陣頭指揮を執り、男性の新たなライフスタイルを提案したPOPEYEを創刊し、若者から圧倒的な支持を受けた。さらに、ヨーロッパやアメリカの男たちが謳歌している、仕事以外の趣味を特集したBRUTUSを立ち上げた。その頃、43歳になった石川は本格的にゴルフを始めたという。果たして石川の始めたゴルフとはどんなものだったのだろうか?


次回(6月12日放送)のゲストは、
渡辺裕之 さんです。